米映画監督スティーブン・スピルバーグ(Steven Spielberg)氏は12日、中国政府がスーダン西部のダルフール(Darfur)地方で続く紛争の解決に十分尽力していないとして、今夏開催される北京五輪の芸術顧問を辞退すると発表した。
スピルバーグ氏は「現在もスーダンで続く人道犯罪の責任はスーダン政府にある。スーダン国民の苦難を終結させるために国際社会、特に中国はさらなる尽力が必要だ」と訴えたうえで、「北京五輪の外国人芸術顧問として開・閉会式プロジェクトに関わってきたが、これを正式に退くこととした」とする声明を発表した。
国連(UN)の推計によると、ダルフール地方では、アラブ系の政府軍および民兵組織と非アラブ系反政府勢力間の紛争が勃発した2003年以降、戦闘、飢餓、病気などで約20万人が犠牲になっている。
スーダン政府と経済分野などで緊密な関係を持つ中国には、国際的取り組みの糸口としてダルフールの危機打開をスーダン政府に働きかける役割が期待されている。
スピルバーグ氏は「中国政府に対しては、ダルフール地方に安全と安定をもたらすべく、スーダン政府に対する影響力を行使するよう繰り返し促してきた」と述べたうえで、自身の良心に従い「現時点において、わたしの時間と全エネルギーは五輪ではなく、ダルフールで続く非人道的な犯罪の終結に注がれるべきだと判断した」と辞退理由を説明した。
◆ 北京五輪に国際的な関心が集まる中、スピルバーグ氏のほかにも、ノーベル賞受賞者や五輪選手らも同日、胡錦濤(Hu Jintao)国家主席に宛てて、スーダン政府に圧力をかけダルフールでの非人道的行為を停止させるよう要請する書簡を送っている。
米映画監督のスティーブン・スピルバーグ氏が、就任を要請されていた北京五輪開閉会式の文化芸術顧問を辞退する声明を出したことに対し、中国外務省の劉建超・報道局長は14日の定例記者会見で、「五輪組織委員会との正式の契約を行っていなかったにもかかわらず、個人的な声明を発表したことは遺憾だ」と語った。
劉局長はその上で、「中国人民は世界中の才能ある芸術家、科学者と協力し、世界の人々にすばらしい五輪開会式をお見せする」とし、スピルバーグ氏の“降板”に影響は受けないとの考えを示した。読売より
米映画監督スティーブン・スピルバーグ氏=写真(ロイター)=は12日、スーダン・ダルフール問題への中国政府の姿勢を不満として、北京五輪の芸術顧問から退くとの声明を発表した。
声明で、スピルバーグ氏は「ダルフール問題の解決に向け影響力を行使するよう中国政府に何度も働きかけたが、状況はむしろ悪くなっている」と指摘。「現時点では、自分の時間とエネルギーは五輪ではなく、ダルフールで続く人道に対する犯罪を終わらせることに費やすべきだと結論づけた」として、最終的に顧問への就任を拒否すると述べた。
スピルバーグ氏は昨年、中国政府から芸術顧問への就任を要請されたが、ダルフール問題への懸念から最終的な契約書への署名は先延ばしにしていたという。
一方で同氏は、中国映画界を代表する映画監督で、親しい友人でもある張芸謀氏が総監督を務める同五輪の開閉会式への協力を取りやめるのは「非常に困難な決断だった」とも述べ、引き続き中国政府に姿勢転換を望むとしている。
この問題では、女優でユニセフ親善大使のミア・ファローさんが昨年、「北京五輪のレニ・リーフェンシュタールになりたいのか」と、1936年にナチス主導で行われたベルリン五輪の記録映画を撮影した映画監督の名前を引き合いに出してスピルバーグ氏を批判するなど、論議が高まっていた。
【用語解説】ダルフール紛争
東アフリカのスーダン西部ダルフール地方で2003年2月、アラブ系の中央政府に対する黒人系勢力の反政府活動が激化。政府軍は黒人系住民の村々を無差別に襲撃。国連によると約250万人が難民や避難民に。紛争による死者数は、病死者なども含め20万人以上と推定される。アフリカでの資源獲得を推進する中国はスーダンの石油の大半を購入、欧米からはダルフール紛争問題を軽視しているとの批判が上がっている。 フジサンケイより
本名 Steven Allan Spielberg
生年月日 1946年12月18日(61歳)
出生地 アメリカ合衆国・オハイオ州シンシナティ
国籍 アメリカ
民族 ロシア系ユダヤ人
職業 映画監督
ジャンル 映画
活動期間 1969年 - 現在
活動内容 1969年:TV脚本家デビュー
1971年:TV映画監督デビュー
1974年:劇場映画監督デビュー
1975年:ブレイク
1993年:アカデミー賞受賞
1998年:アカデミー賞受賞
配偶者 アミー・アーヴィング(1985-89)
ケイト・キャプショー (1991 - )
家族 ジェシカ(1976-) 現妻の連子
マックス(1985-) 前妻との実子
セオ(1988-) 現妻の連子
サーシャ(1990-) 実子
サイヤー(1992-) 実子
ミカエラ(1996-) 養子
デストリー(1996-) 実子
主な作品
『ジュラシック・パーク』シリーズ
『ジョーズ』シリーズ
『E.T.』
『シンドラーのリスト』
『インディー・ジョーンズ』シリーズ
『プライベート・ライアン』
『A.I.』
『ミュンヘン』
受賞
アカデミー賞
1986年:アーヴィング・タールバーグ記念賞
1993年:監督賞・作品賞
『シンドラーのリスト』
1998年:監督賞・作品賞
『プライベート・ライアン』
ヴェネツィア国際映画祭
1993年:金獅子賞
特別功労賞
経歴賞
全米批評家協会賞
1982年:監督賞
『E.T.』
1993年:監督賞
『シンドラーのリスト』
LA批評家協会賞
1982年:監督賞
『E.T.』
放送批評家協会賞
1998年:監督賞
『プライベート・ライアン』
2002年:監督賞
『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』
英国アカデミー賞
1993年:監督賞
『シンドラーのリスト』
ゴールデングローブ賞
1993年:監督賞
『シンドラーのリスト』
1998年:監督賞
『プライベート・ライアン」
備考
アンブリン・エンターテインメント及びドリームワークスの共同創業者
人物
監督としての功績
監督としては、世界最高のヒットメーカーの一人として挙げられる。撮影においてリハーサルをほとんど行わないなど、凄まじいほどの早撮りで、3時間近くある自身渾身の大作『プライベート・ライアン』はわずか3ヶ月で撮影を終えたという。また、このために多作である。製作費を安く抑えることでも知られ、製作費が1億ドルを越えたのは『マイノリティ・リポート』と『宇宙戦争』だけである。このことに関しては、ルーカスの助言が影響している[1]。ちなみ彼に関する業界内のジョークとして、「3カット目と7カットをよく使う」といわれる。彼曰く、役者が一番いい演技をするのはそのあたりだそうだ。この独自の考え方が、結果的には驚異的な早撮りにも繋がっている。
製作としての活躍
製作としても手腕を発揮しており『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ、『メン・イン・ブラック』などのヒット作、話題作の制作を手がけている。
作風
昨今のリメイク映画を連発するアメリカ映画界の傾向には批判的で、新作をものにしようという意識は製作総指揮作『トランスフォーマー』にも反映されている。
劇場映画初監督の『続・激突! カージャック』はTVムービー『激突!』とは本来無関係の作品であるし、脚本の検討に時間がかかるとして『ジョーズ』続篇の映画化にはタッチせず、高い収益を上げた『E.T.』は(利益が見込める)続篇を求められても拒否した。監督作『ジュラシック・パーク』は2作目ですでにあまり乗り気ではなく3作目は監督せずプロデュースにまわった。プロデュース作品はシリーズ化されたものも多くありTVでも『ER緊急救命室』が十年以上続くなど成功しているが、目下監督を手がけるシリーズは『インディ・ジョーンズ』だけである。
家族・友人
女優のエイミー・アービングと1985年結婚、長男マックスをもうける。89年離婚。現在の妻は、女優のケイト・キャプショー。
同業のジョージ・ルーカスは友人かつ一番のライバルであり、『インディ・ジョーンズ』シリーズを一緒に製作しているほか、『スター・ウォーズ』でも一部を手伝ったことがある。
来歴
幼少〜学生時代
ロシア系ユダヤ移民の3代目。Spielbergというドイツ語の苗字は直訳すると「芝居山」という意味で、祖先が17世紀に居住していたオーストリアの町の名前に由来する。英語訳では「Playmount」となり、彼が若い頃の映画製作の社名にしていた。
オハイオ州に生まれ、アリゾナ州に育つ。古い資料では1947年生まれとなっているが、これはスピルバーグが長年1947年生まれと偽ってきたためで、1946年生まれが正しい。
幼い頃から8ミリカメラで自主的に映画を製作する。スタンリー・キューブリック、デヴィッド・リーン、黒澤明、アルフレッド・ヒッチコック、『ゴジラ』など様々な映画の影響をうけるが、特にディズニー映画は初期の彼の作品にさまざまな影響を与えている。彼自身、雑誌のインタビューで「ウォルト・ディズニーこそ僕の生みの親で、テレビは育ての親だ」と語っている。
映画学科が充実していることで知られる南カリフォルニア大学への入学を希望したが、3度にわたり入学を断られたため、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校にて映画を専攻したものの中退し、後に再度入学し卒業した。皮肉にも後に、南カリフォルニア大学の名誉教授に就任する。
1970〜1980年代
1972年に、テレビ映画として撮った『激突!』が評判を呼び、海外では劇場公開され、スピルバーグの名前が世界に知られるようになる。1974年に『続・激突! カージャック』で、劇場用映画監督に進出。
初期の頃は、娯楽映画をつくることで評価を得ていたが、やがて上記のように様々なジャンルの映画を手がけるようになる。ヒット作に『ジョーズ』、『未知との遭遇』、『インディ・ジョーンズ』シリーズ、『E.T.』、『ジュラシック・パーク』、『シンドラーのリスト』など多数。
1990〜2000年代
1993年のアカデミー賞では、『シンドラーのリスト』で作品賞、監督賞を受賞する。スピルバーグは、この作品の製作に意欲的で報酬を断っている。
1994年にドリームワークスを設立。1998年に『プライベート・ライアン』で、2度目のアカデミー監督賞を受賞する。2001年に英国王室より、ナイト爵を授与された。
『宇宙戦争』のオリジナルCMを日本限定で公開するなど、親日家でも有名。家族と共に三鷹の森ジブリ美術館を訪れたこともある。
余談
和牛への貢献
欧米(とくにハリウッド)で和牛の普及におおいに貢献する。彼があまりに神戸ビーフを連呼したがために、和牛=神戸ビーフと呼ばれるようになってしまったという逸話がある。
オリンピックとの関係
ソルトレークシティオリンピックの開会式では、オリンピック旗を掲揚する際の旗手を務めたほか、北京オリンピックの組織委員会芸術顧問を務めるなど、オリンピックとは繋がりが深い。2008年2月12日、中国政府のスーダン・ダルフール紛争に対する姿勢を理由に、芸術顧問を辞退することを表明した。
テレビゲーム好き
テレビゲームが好きで、特に『シェンムー』を高く評価した事で知られる。シェンムーのディレクターである鈴木裕にサインを求めた事がある。また2006年5月10日〜5月12日にかけて開催されたE3では、ゲームプロデューサーである宮本茂と任天堂のゲーム機である「Wii」を使用して『Wii Sports』のテニス対決をし、大きな話題となった。この模様はAP通信が伝え、全世界に配信された。
アニメーション・漫画ファン
日本漫画のファンであり、自身の作品にもその影響が見られる。
自ら監督・製作した映画への出演
通行人などでほんのわずか出演することがある(カメオ出演)。
収入
フォーブス誌の発表によると2007年の年収は3億3200万ドル(約380億円)だった。
フィルモグラフィー
ロナルド・レーガン大統領夫妻とともに
[編集] 主な監督作品
『刑事コロンボ/構想の死角』(Columbo: Murder by the Book, 1971年) (テレビ映画)
『激突!』(Duel, 1971年) (テレビ映画)
『続・激突! カージャック』(The Sugarland Express, 1974年)
『ジョーズ』(Jaws, 1975年)
『未知との遭遇』(Close Encounters of the Third Kind, 1977年)
『1941』(1941, 1979年)
『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(Raiders of the Lost Ark, 1981年)
『E.T.』(E.T. the Extra-Terrestrial, 1982年)
『トワイライトゾーン/超次元の体験』 (Twilight Zone: The Movie, 1983年) (監督4名によるオムニバス作品の第2話)
『プロローグ 本当に怖いもの』ジョン・ランディス監督作品
『第1話 偏見の恐怖』ジョン・ランディス監督作品
『第2話 真夜中の遊戯』スティーブン・スピルバーグ監督作品
『第3話 こどもの世界』ジョー・ダンテ監督作品
『第4話 2万フィートの戦慄』ジョージ・ミラー監督作品
『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(Indiana Jones and the Temple of Doom, 1984年)
『世にも不思議なアメージング・ストーリー』(Amazing Stories, 1985年)
『最後のミッション』 出演:ケヴィン・コスナー/キーファー・サザーランド
『ゴースト・トレイン』 出演:ドリュー・バリモア/ルーカス・ハース
『カラー・パープル』(The Color Purple, 1985年)
『太陽の帝国』(Empire of the Sun, 1987年)
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』 (Indiana Jones and the Last Crusade, 1989年)
『オールウェイズ』(Always, 1989年)
『フック』(Hook, 1991年)
『ジュラシック・パーク』(Jurassic Park, 1993年)
『シンドラーのリスト』(Schindler's List, 1993年)
『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』 (The Lost World: Jurassic Park, 1997年)
『アミスタッド』(Amistad, 1997年)
『プライベート・ライアン』(Saving Private Ryan, 1998年)
『A.I.』(Artificial Intelligence: AI, 2001年)
『マイノリティ・リポート』 (Minority Report, 2002年)
『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(Catch Me If You Can, 2002年)
『ターミナル』(The Terminal, 2004年)
『宇宙戦争』(War of the Worlds, 2005年) (H・G・ウェルズ原作『宇宙戦争』の再映画化)
『ミュンヘン』(Munich, 2005年)
公開予定の監督作品
『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull, 2008年)
『タイトル未定/エイブラハム・リンカーン』(Untitled Steven Spielberg/Abraham Lincoln Project, 未定)
『The Pacific』太平洋戦争についての戦争連載テレビドラマ
主な製作作品
『グレムリン』(Gremlins, 1984年)
『世にも不思議なアメージング・ストーリー』(Amazing Stories, 1985年)
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(Back to the Future, 1985年)
『ニューヨーク東8番街の奇跡*Batteries not Included』(-, 1987年)
『インナー・スペース』(Innner Space,1987年)
『ロジャー・ラビット』(Who Framed Roger Rabbit,1988年)
『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』(Back to the Future Part II, 1989年)
『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』(Back to the Future Part III, 1990年)
『グレムリン2 新・種・誕・生』(Gremlins 2: The New Batch, 1990年)
『タイニー・トゥーンズ』(Tiny Toon Adventures, 1990年-1992年, 1994年, 1995年)(テレビアニメ)
『アニマニアックス』(Animaniacs, 1993年-1999年) (テレビアニメ)
『キャスパー』 (Casper, 1995年)
『ピンキー&ブレイン』 Pinky and the Brain, 1995年-1999年) (テレビアニメ)
『ツイスター』(Twister,1996)
『メン・イン・ブラック』(Men in Black, 1997)
『ディープ・インパクト』(Deep Impact, 1998)
『マスク・オブ・ゾロ』(The Mask of Zorro, 1998)
『チキンラン』(Chicken Run, 2000)
『バンド・オブ・ブラザース』(Band of Brothers, 2001)(テレビドラマ)
『メン・イン・ブラック2』(Men in Black II, 2002)
『TAKEN』(Taken, 2002)(テレビドラマ)
『レジェンド・オブ・ゾロ』(The Legend of Zorro, 2005)
『SAYURI』(Memoirs of a Geisha, 2005)
『父親たちの星条旗』(Flags of Our Fathers, 2006)
『硫黄島からの手紙』(Red Sun, Black Sand, 2006)
『トランスフォーマー』(Transformers, 2007)
カメオ出演
『ブルースブラザーズ』("The Blues Brothers",1980)
『バニラ・スカイ』
『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』
関連文献
猪狩哲郎著『スピルバーグ ハリウッド魔宮の伝説』竹書房、1986年5月、ISBN 4884750179
フランク・サネッロ著、中俣真知子訳 『はじめて書かれたスピルバーグの秘密』 学習研究社、1996年11月、ISBN 4-05-400714-7
原著: Frank Sanello, Spielberg: the Man, the Movies, the Mythology, Taylor Publishing Co., Mar 1996, ISBN 0878339116, Sep 2002, ISBN 0878331484
ジョン・バクスター著、野中邦子訳 『地球に落ちてきた男 スティーブン・スピルバーグ伝』 角川書店、1998年1月、ISBN 4-04-791289-1
原著: John Baxter, Steven Spielberg: The Unauthorized Biography, HarperCollins, May 1997, ISBN 0002555875, Trafalgar Square, Feb 1998
橋本勝著『スピルバーグ』(『For beginnersシリーズ』88)、現代書館、2000年2月、ISBN 4768400884
年譜あり
筈見有弘著『スピルバーグ』(講談社現代新書)、講談社、1987年11月、ISBN 4-06-148875-9
スピルバーグ関係ブックガイド・フィルモグラフィ: p202〜208
ダグラス・ブロード著、栗山微笑子訳『スティーブン・スピルバーグ シネマの天才』(『シネマ・スター・ライブラリー』)、シンコー・ミュージック、1995年11月、ISBN 4401615271
原著: Douglas Brode, The films of Steven Spielberg, Citadel Trade, Jan 1995, ISBN 0806515406, Oct 2000, ISBN 0806519517
アンドリュー・ユール著、高橋千尋訳『スティーブン・スピルバーグ 人生の果実』プロデュース・センター出版局、1999年10月、ISBN 4938456540
原著: Andrew Yule, Steven Spielberg: Father to the Man,Little Brown and Company, 05 Dec 1996,
Andrew Yule, Steven Spielberg: Father of the Man: His Incredible Life, Tumultuous Times and Record-Breaking Movies, Warner Little Brown & Co Ltd, Nov 2002, ISBN 0751512907
アンドリュー・アルバネーゼ/ブランドン・トリスラー編 佐々田雅子訳『グラデュエーションデイ〜未来を変える24のメッセージ』、2007年4月、ISBN 9784903825007
スピルバーグのスピーチ収録


